matumusibook’s blog

主張のはげしいひと

https://twitter.com/umaco0303

耳の聞こえないY君とクラスメイト

高知東生「凄まじいバッシングが車椅子の人に寄せられているのに驚く」映画館側の不適切対応で(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

先日のイオンシネマのグランシートに車椅子ユーザーが入れない問題での、車椅子ユーザーへのバッシングの件で思い出したことがあったのでめちゃくちゃ久しぶりにブログを開いた。

この出来事に関しての私の考えは軽くこのツリーで述べてる。

 

自分なりに俯瞰して車椅子ユーザーを叩いている人の意見を読んでみると何となくだけど総じて

「性格も良く感謝をする障碍者は叩かない。面倒くさい障碍者は叩く」

といった印象だった。

これに対して思ったことがあって、なぜXに記さないかというと障碍者叩きに都合よい部分だけ切り取られて使われたくないから。

 

かく言う私も恥ずかしいことだけど「障碍者でもいい人は良いけど、助けてもらって当たり前みたいな人は嫌」と思っていた時期がある。

そう思ってしまった事に起因する思い出を語る。

 

 

中学校時代、私のクラスに聴覚障碍者のY君が転校してきた。

 

Y君は補聴器とつながっているマイクを携帯していて、何か用があるときはそれに話してもらうといったことを周りにお願いしていて、

「Y君の隣になった人は放送があったらY君のマイクに内容が把握できたか聞いて確認する」といった任務があった。

 

たまたま私の隣がY君の席になった。

 

私とY君はものすっっっごく仲が悪かった。

どっちから始まったのか全く覚えていないが毎日喧嘩をしていて、毎日彼に放送の確認をしてもY君は「聞こえてるっつーの!!」とものすごく態度が悪かった。正直お世辞も言えないくらいヤな奴だったし、もうこの学校で私が一番Y君が嫌いなんじゃないかってくらいで学校に行くのが億劫だった。

 

日々を過ごしていくうちおかしなことに気づく。

中学の3年間で私は結構な割合でY君と隣になっていた。みんな私とY君の喧嘩をいやというほど見せつけられてたと思うが不思議とY君の隣になる回数は断トツで私が多かった。

 

今思うと私も問題児でクラスメイトにとって私とY君はババだった。

班長達が班分けで自分の班に入れたくない人間を押し付け合っていたのだと思う。実際私は班長に「仕方ないからお前ら入れてやった」と言われたこともあるので被害妄想ではないと思う。

 

どれだけ席替えをしても私は任務から降りられないので先生にも学級会でも一貫して

「私一人ではY君のサポートをするのは大変だ。みんなにも代わってほしい」

と訴えていた。

 

結果、私とY君の所属する班内で定期的にY君の隣になる人間が入れ替わるということになった。私も毎日はだめだが1.2週間なら良いと思っていた。

 

だが、2学期になってからそれが適用されないと言われた。

初めから言われてたのか、班が変わったから適用されなくなったのか分からないが、もう誰も班内の定期的な席替えに応じてくれなくなり、どうして2学期からダメなのかと班長と揉めた。

 

その後先生に呼び出され先生に「おまえ、ワガママ言いたい放題やそうやな!!」と怒鳴られた。泣いた。

 

今思い出してもあの時の先生のあごを割ってやりたい衝動に駆られる。

 

この件はそもそもシステムをちゃんと作らなかった先生が悪いと思うから。

「隣の席の人間が」としてしまったら、一人の人間に負担がかかって揉めることくらい大人なんだから分かれよって話だ。

 

 

Y君の例以外にもアルバイトで視覚障碍者のお客さんにマニュアル通りの対応をしてしまい怒られてしまった事がある。

 

 

私は今たまたま出会った人たちが福祉について色々考える機会をくれたりしたので、車椅子ユーザーを叩く側にまわらずに済んだだけで、Y君やバイト先の客さんの思い出だけだったら叩く側になっていた可能性もある。

 

超当たり前のことを言うが

別にY君がヤな奴のまんまだっていいわけではないか。

視覚障害のお客さんが怒りん坊だっていいわけではないか。

 

健常者は良い人だろうがヤな奴だろうが不自由なく生きていける。

第一「良い障碍者」の定義があったらそれこそやべえではないか。

 

憶測だがY君も前の学校で「良い障碍者」の物差しに充てられ居場所のなさを感じていたのかもしれない。

 

何が言いたいかというと色んな人が言っていることだが結局今の時点ではまだまだ障碍者が健常者と同じように活動する手段が「人の善意」に頼らなければいけないシステムなのが問題だと思う。

 

私にとってY君はヤな奴でもほかの子からしたらそうじゃないかもしれない。

みんなで介助するのが思いやりではなく当たり前のことだという認識を広めるシステムを学校で作ってほしかった。

アルバイトでも健常者向けのマニュアルだけでなく「目の見えない人にはこういう対応をするように」というマニュアルも用意してほしかった。

 

バッシングしている人は別に自分が「介助しろ」と言われたわけでもないのに「人の善意を当たり前だと思うな!」と怒っている。

 

ならば善意が必要なくなるように社会がもっとバリアフリーが機能するよう働きかけるべきである。「俺の税金をケツにねじ込むな、バリアフリーに使え」と怒ればいい。

 

とはいえバリアフリーがもっと広まるためにまだ時間がかかるだろうとも思ってはいて、それまではまた身障者に我慢を強いてしまうのが心苦しい。

私も「こういう時車椅子ユーザーはどうしてるのかな…」と調べたり

今度イベントを開いてもらう際は障碍者や子連れの人にもどうやったら行きやすいと思ってもらえるかなと考える機会にもなった。

(バッシングされてしまった方やそれを見た身障者の方のメンタルが心配だが…)

個人店を経営されている方がそれぞれ「うちの店は車椅子では来店しにくいかもしれないけど…」と何が出来るか考え始めたりしている。

Xがどこまでひどくとも世の中のお店は来てくれる人のために動くと思う。動いてほしい。