matumusibook’s blog

主張のはげしいひと

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耳の聞こえないY君とクラスメイト

高知東生「凄まじいバッシングが車椅子の人に寄せられているのに驚く」映画館側の不適切対応で(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

 

先日のイオンシネマのグランシートに車椅子ユーザーが入れない問題での、車椅子ユーザーへのバッシングの件で思い出したことがあったのでめちゃくちゃ久しぶりにブログを開いた。

この出来事に関しての私の考えは軽くこのツリーで述べてる。

 

自分なりに俯瞰して車椅子ユーザーを叩いている人の意見を読んでみると何となくだけど総じて

「性格も良く感謝をする障碍者は叩かない。面倒くさい障碍者は叩く」

といった印象だった。

これに対して思ったことがあって、なぜXに記さないかというと障碍者叩きに都合よい部分だけ切り取られて使われたくないから。

 

かく言う私も恥ずかしいことだけど「障碍者でもいい人は良いけど、助けてもらって当たり前みたいな人は嫌」と思っていた時期がある。

そう思ってしまった事に起因する思い出を語る。

 

 

中学校時代、私のクラスに聴覚障碍者のY君が転校してきた。

 

Y君は補聴器とつながっているマイクを携帯していて、何か用があるときはそれに話してもらうといったことを周りにお願いしていて、

「Y君の隣になった人は放送があったらY君のマイクに内容が把握できたか聞いて確認する」といった任務があった。

 

たまたま私の隣がY君の席になった。

 

私とY君はものすっっっごく仲が悪かった。

どっちから始まったのか全く覚えていないが毎日喧嘩をしていて、毎日彼に放送の確認をしてもY君は「聞こえてるっつーの!!」とものすごく態度が悪かった。正直お世辞も言えないくらいヤな奴だったし、もうこの学校で私が一番Y君が嫌いなんじゃないかってくらいで学校に行くのが億劫だった。

 

日々を過ごしていくうちおかしなことに気づく。

中学の3年間で私は結構な割合でY君と隣になっていた。みんな私とY君の喧嘩をいやというほど見せつけられてたと思うが不思議とY君の隣になる回数は断トツで私が多かった。

 

今思うと私も問題児でクラスメイトにとって私とY君はババだった。

班長達が班分けで自分の班に入れたくない人間を押し付け合っていたのだと思う。実際私は班長に「仕方ないからお前ら入れてやった」と言われたこともあるので被害妄想ではないと思う。

 

どれだけ席替えをしても私は任務から降りられないので先生にも学級会でも一貫して

「私一人ではY君のサポートをするのは大変だ。みんなにも代わってほしい」

と訴えていた。

 

結果、私とY君の所属する班内で定期的にY君の隣になる人間が入れ替わるということになった。私も毎日はだめだが1.2週間なら良いと思っていた。

 

だが、2学期になってからそれが適用されないと言われた。

初めから言われてたのか、班が変わったから適用されなくなったのか分からないが、もう誰も班内の定期的な席替えに応じてくれなくなり、どうして2学期からダメなのかと班長と揉めた。

 

その後先生に呼び出され先生に「おまえ、ワガママ言いたい放題やそうやな!!」と怒鳴られた。泣いた。

 

今思い出してもあの時の先生のあごを割ってやりたい衝動に駆られる。

 

この件はそもそもシステムをちゃんと作らなかった先生が悪いと思うから。

「隣の席の人間が」としてしまったら、一人の人間に負担がかかって揉めることくらい大人なんだから分かれよって話だ。

 

 

Y君の例以外にもアルバイトで視覚障碍者のお客さんにマニュアル通りの対応をしてしまい怒られてしまった事がある。

 

 

私は今たまたま出会った人たちが福祉について色々考える機会をくれたりしたので、車椅子ユーザーを叩く側にまわらずに済んだだけで、Y君やバイト先の客さんの思い出だけだったら叩く側になっていた可能性もある。

 

超当たり前のことを言うが

別にY君がヤな奴のまんまだっていいわけではないか。

視覚障害のお客さんが怒りん坊だっていいわけではないか。

 

健常者は良い人だろうがヤな奴だろうが不自由なく生きていける。

第一「良い障碍者」の定義があったらそれこそやべえではないか。

 

憶測だがY君も前の学校で「良い障碍者」の物差しに充てられ居場所のなさを感じていたのかもしれない。

 

何が言いたいかというと色んな人が言っていることだが結局今の時点ではまだまだ障碍者が健常者と同じように活動する手段が「人の善意」に頼らなければいけないシステムなのが問題だと思う。

 

私にとってY君はヤな奴でもほかの子からしたらそうじゃないかもしれない。

みんなで介助するのが思いやりではなく当たり前のことだという認識を広めるシステムを学校で作ってほしかった。

アルバイトでも健常者向けのマニュアルだけでなく「目の見えない人にはこういう対応をするように」というマニュアルも用意してほしかった。

 

バッシングしている人は別に自分が「介助しろ」と言われたわけでもないのに「人の善意を当たり前だと思うな!」と怒っている。

 

ならば善意が必要なくなるように社会がもっとバリアフリーが機能するよう働きかけるべきである。「俺の税金をケツにねじ込むな、バリアフリーに使え」と怒ればいい。

 

とはいえバリアフリーがもっと広まるためにまだ時間がかかるだろうとも思ってはいて、それまではまた身障者に我慢を強いてしまうのが心苦しい。

私も「こういう時車椅子ユーザーはどうしてるのかな…」と調べたり

今度イベントを開いてもらう際は障碍者や子連れの人にもどうやったら行きやすいと思ってもらえるかなと考える機会にもなった。

(バッシングされてしまった方やそれを見た身障者の方のメンタルが心配だが…)

個人店を経営されている方がそれぞれ「うちの店は車椅子では来店しにくいかもしれないけど…」と何が出来るか考え始めたりしている。

Xがどこまでひどくとも世の中のお店は来てくれる人のために動くと思う。動いてほしい。

 

ドラマまで長かった…

じゃーーーーん!!!!!

 

いやもう、既にみんなTwitterやネット記事で知ってますよね。

もう明後日ですよ!チャリ橋くんのドラマ!すっごくすっごくドキドキします!

 

でもここまでの道のりは本当に長かった。

LDHさんから映像化のオファーを頂いてから2年半は経ってると思う。

 

お話を頂いたのは1巻が出てしばらくして、そろそろ2巻の打ち合わせをしましょうって時だった。寒かったから2月か3月?

デザイナーさんとの打ち合わせのため前担当の信藤さんと待ち合わせていて、信藤さんが到着後の第一声で「映像化の話、来ました」と言った。

 

映像化!!??私の漫画を!!??

 

正直今ほど注目されてなかったから(まあ、とりあえず連載続けられるかなって言うレベルの売り上げだったし)とてもビックリした。

 

LDHさん??あ、EXILEの…へーーー!

私は殆どテレビを見てないので芸能界の認識がかなりしょぼい。(LDHさんすみません)

 

 

早速LDHさんのHPを見てみた。

どんな役者さんがいるのだろう。すさまじくイケてる人ばかりだ(当たり前だろ)

 

その中で目についたのが鈴木伸之さんだった。

 

高橋くんとそんなに歳も違わず(鈴木さんその時27とかじゃなかったかな)何より身長がとても高い。高橋くんは183㎝だが鈴木さんはプロフィールに185㎝って書いてある(実際はもうちょっと高いのかな?)その上漫画みたいにガタイが良い。すごい。

 

いままで出演された作品を調べてみたがヤンキー役も多く、プロフィールではキラキラしたお目目がヤンキー使用で鋭くなっていた。とても期待が高まる。

 

いやしかしこの時点で鈴木さんがやると決まったわけではないのではしゃぐのは禁物だし、なにより映像化って漫画家界ではすぐポシャると有名な話だ。

私は常に映像になったらいいな~って想いと上手く行かない事態の両方を想像していた。

 

コロナ禍という事もあり、企画はじつにゆーーーーっくりゆーーーーっくり進んで行った。(こちらの肌感覚なので、関係者の方がめちゃくちゃ動いてくれてたらスミマセン…)

私はもうポシャる覚悟でいたのだが、映像化の契約は更新された。あ、色んな人が私の作品の実写化に対して本気になってくれてるんだと思った。

お土産で貰ったゼリーをふたを開けながらズルズル汁を吸ってから食べた。ハッピーな味がした。

 

 

そして多分昨年だったと思うが、担当信藤さんから連絡がきた。

LDHさんから、高橋くん役に鈴木伸之さんを提案されました。」

 

 

まさかマッチングするとは何という奇跡!!!!!!!!

 

こんなとこからですが鈴木さん、高橋くんを受けてくださりありがとうございます。

 

 

 

そうとなったら相手役のパン子である。

 

パン子の役は今思うとかなりかなり…決めるのが難しかった。

まずビジュアルからパン子っぽさのある人を選んでいたが、ここは大人の事情もあるので詳しくは言えないが中々先方の希望と私の希望がマッチングしなかった。

パン子は30歳だが、パン子より若い俳優さんも勧めていただいた。だが年齢の差というのは思った以上に俳優さんにはプレッシャーらしい(全員とは言わないが)

そりゃそうだと思ったし、ちゃんと不安だと伝えてくれたことが私はちゃんと作品に向き合ってくれた気がして嬉しかった。

何より俳優さんのプレッシャーを少しでも軽くしたいのでパン子に近い年齢の方が良いと思った。

 

あと、これは私も漫画を描く上で気にしてることなのだが、主要キャラクターのビジュアルが揃ったときガチッッとハマるのは大事だと思った。

 

つまり、鈴木さんの演じる高橋くんのビジュアルと相性のいい俳優さんの方がドラマを観る上で必要だと思った。

 

高橋くんっぽい人、パン子っぽい人をそれぞれ探したとて、それが上手く行くかは別の話だと思った。そこはやはり漫画は漫画、ドラマはドラマだ。

 

ここで自分の頭の中にひとりの俳優さんが思い浮かんでいた。

数少ない私が知ってる俳優さんレパートリーの中からなのでかなり希少だ。

 

それが内田理央さんだった。

 

私はパン子の見た目をどこにでもいる普通の素朴な女性として描いていた。

パン子と内田さんをお花でイメージするならパン子はカモミールで内田さんはガーベラでそのくらい華やかなビジュアルをお持ちの方だと思うが、なぜ内田さんを想いうかべたというとたまたまネットフリックスで観たオッサンズラブで主人公の幼なじみ役を演じられていたのが私の心の片隅に残っていた。

この幼なじみの女の子とってもチャーミングでいいな~と思ったのを思い出した。

内田さんのインスタを拝見したところ、美味しいものも大好きで漫画も大好きで(本棚のラインナップがガチで漫画好きな人だと思った)

内田さんだったら鈴木さんとの身長差もちょうどいいし、なにより特徴が少ないパン子だから内田さんの漫画のように大きなお目目が高橋くんの鋭い目つきと対象になって面白い気がした。

 

担当信藤さんもプロデューサー太田さんも意外だけどいいかも!と言った感じでオファーをお願いした。

 

なんと内田さんはすぐに快諾のお返事をくれた。

 

 

なんかもうこの時点で私の中では「内田さん、良い人!!」である。(チョロい)

もう私と担当さんは早く鈴木さん演じる高橋くんと内田さん演じるパン子が観たい!という気持で脳みそがいっぱいになった。

 

 

そしてその結果が↑のメインビジュアルである。

 

凄すぎる・・・!やはりこの二人のビジュアルがガチッッとはまってて最強じゃんって思った。この二人の物語が早く観たい!

 

 

長くなってしまったので、とりあえず主演2人の話までにするが、今後も共演されてる俳優さんやスタッフさん達の話などしていきたいと思っているので今日はこの辺で!

 

 

漫画家のお金

はやい、あっという間に前回のブログから1週間以上経ってしまった。

なんだか毎回この本編原稿が終った後の仕事というのは1個1個はそこまで大掛かりな仕事でないにせよ細かい締め切りが多く落ち着かない。なので早め早めにやって落ち着きたいと思うとどこで休んだらいいか分からないという状況になってくる。

とりあえず今日は早朝に1個仕事を提出したのでゆっくりしたい。

 

 

先日ちょっと気になるツイートを見かけた。

 

「漫画家が1年以上編集と連載ネームを打ち合わせしてその間ギャラが一切でないのはおかしいのでは?ネームに値段を付けることは出来ないのか」

 

これに対して私が思う事を挙げてみたい。

率直に言うとこれは難しいと思う。ムカつく人が居るかも知れないが良かったら最後まで目を通してもらいたい。

 

一度ここで編集さんと漫画家の関係を整理してみる。

ツイート主の言う漫画家さんがどの程度の業績の人なのか分からない(ベテランか新人かでもちょっと変わってくる気がするので)ので、一応新人の漫画家さんとして話を進めたい。

 

漫画家は自営業で編集さんは出版社に所属するサラリーマンだ。

出版社から漫画の注文を受ける立場に我々はいる。

 

で、この連載に向けて製作してるネームだが(ネームは例えると企画書?みたいなものかな)この時点ではそのネームが仕事(連載)に繋がるかどうかはまだ分からない。

 

ということはつまり「お金になるかわからない」ものに時間をかけてお給料がもらえるのは出版社に所属している編集さんの特権で、自営業である漫画家が「お金になるか分らない」時点でお金を得るのはあまり現実的ではないのではと思う。

もっと言うと、その「お金になるか分らない」ものにお金を請求するということはそのやり取りしてる出版社とそういう契約を結ぶ事になってしまう。

 

私が注意したいのはここなのである。

 

プロで描いている漫画家でもたまにあるのが、例えば「A社で打ち合わせしていたネームがダメになり、それをB社に持って行く」という事をダメだと思っている、または思いつかない という人が居る。

 

編集さんも漫画家も人間なのだ。お互いのそりが合わなかったり描きたいものが編集さんの意向とは違ったり、長期間一緒にやってたけどこの人とは仕事に繋がりそうもないな…と感じる瞬間だってある。

 

そういう時にA社では上手く行かなかったからと言ってB社でもそうとは限らないのである。嫌だと思ったらどんどんほかの媒体に持ち込みした方が良い。

 

なので「お金が生じてない」やり取りはお金はないにしろ「自由」はある。

ここでもしネームにもお金を頂くという契約をしてしまうと(契約内容にもよるだろうが)そのネームは他で生かすことが出来ないのである。

 

私はその自由度が無い方が不安を感じる。

 

実際そういう構想を練る期間も作家と契約し、社員のように扱っている会社もあるにはあるし、私も持ち込みした媒体がそうだったことがあり、契約まで編集者に求められたが、いや確かに構想練る期間にもお金貰えるのは嬉しいけどそれってつまり縛られるってことで、その後もどんだけ働いてもこの給料でやんなきゃいけないってことじゃね!?って思ったのでやめた。

 

昔某大手出版社で契約を結んでしまい、どれだけ働いても雀の涙しかもらえなかったと語る大学の恩師の経験が役に立った。

 

 

自分の仕事がお金になるまでに時間がかかるのも仕方がないし連載が始まってもすぐに食っていけるわけじゃない。(連載開始して場所や道具も揃えたけど半年で打ち切りになった人も見ている)そこは他の仕事も同じなので出版社に求めるというよりは国にそういう自営業をわずかでも支えるシステムがあれば良いのにと思う。

 

 

だが、漫画家業界もこのままで良いとは全く思わない。

 

私はもっと質のいい漫画が増えるべきと思うので漫画家の給料はもっと上がるべきであるし、単行本の表紙カバーや描き下ろしのオマケページや書店特典にも原稿料が出るべきだ。(実は出ない出版社は結構ある。私がもらってるかどうかは返答を控える)

 

たまに「原稿料これだけしかもらえないから他の会社とも掛け持ちでやらないと」という漫画家をみる。

現状に満足していないんだったら原稿料はもっと高くあるべきだと交渉し、全体的にその印象を植え付けるのが商業漫画家として世に出ている漫画家の責任じゃないのか。(もちろん交渉してもダメだったという場合もあるとは思うが)

 

流石にしょっぱなから原稿料上げろは言い難いかもしれないが、連載の回を重ねるにつれて「あなたの注文した漫画を仕上げるのにはこれだけの期間を要します、これだけ貰えないと存続できません」という交渉はしていかないとダメだ。「〇〇円は難しいけど○△円でしたら…」と少しでも歩み寄る交渉をしてくれる出版社と仕事をした方が良い。

 

その上で話をネームに戻すが、もしネーム期間にもお金をもらうとしたら私は1話2話3話と決まった連載のネームに対してだったら貰うのは有りだと思う。(その分も一緒に原稿料で貰うという手もあるが)

 

長々と語ってしまったがとりあえず自分が漫画家として日頃どう思っているかも話せたつもりだ。

好きな事を仕事にしている以上、仕事の仕方も自由に考えるほうがいいのではないかと思っている。

 

 

よし、ゴロゴロしてこよう。

ブログ開設しました

こんにちは、松虫あられです。

この度ブログを開設しました。

自分はいつもツイッターに長文を投稿してしまうので、ならブログの方が良いんじゃね?と思って始めました。

徐々にnoteを撤退する予定ですのでnoteで描いていた記事などこちらに移していきたいと思います。
近いうちにホームページも出来る予定ですのでお楽しみに!